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福岡高等裁判所 昭和35年(う)799号 判決 1960年10月12日

控訴人 被告人 古賀四郎

検察官 田中魁

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、記録に編綴されている弁護人松下宏提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

同控訴趣意(法令の解釈適用の誤まり)について。

所論は要するに、原判示第一事実に関し、食品衛生法第七条及び昭和二十六年厚生省令第五十二号乳及び乳製品の成分規格等に関する省令第三条、別表の二、乳等の成分規格竝びに製造及び保存の方法の基準の部、市乳の保存の方法の基準に使用されている「保存」の意義について、原判決はその解釈適用を誤まつた違法がある。すなわち、被告人は新鮮な市乳を製造後直ちに需要者に配達引渡しているのであるから、前記厚生省令に定められた保存基準の適用を受けるべき筋合でない。保存とは一定期間原状を維持する場合を指称しているのであつて、貯蔵と同義に解すべきであり、大企業による乳業者が各地に散在している製造者から集荷販売する場合は右保存基準に従つてこれを保存し販売すべきであるが、被告人のような小企業者が当朝搾乳した牛乳を直ちに需要者に配達している場合は、右省令の保存基準の適用は受けない筋合であるのに拘らず、前記保存の意義を拡張解釈した結果、その適用を誤つた違法があるというに帰する。

そこで、食品衛生法第七条及び昭和二十六年十二月二十七日厚生省令第五十二号乳及び乳製品の成分規格等に関する省令に使用されている保存の意義について考えてみるのに、前記食品衛生法(以下単に法と略称する)第七条第一項に基づいて前記厚生省令第五十二号が定められているのであつて、該省令第三条による別表によれは二、として乳等の成分規格竝びに製造及び保存の方法の基準を掲げその中に(一)として乳等の製造の方法の一般基準、(二)として市乳などの成分規格竝びに製造及び保存の方法の基準を定め、市乳に関する製造の方法の基準としては、摂氏六十二度から同六十五度までの間で三十分間加熱殺菌するか、又は摂氏七十五度以上で十五分間加熱殺菌すること(但し書略)とし、同じく保存の方法の基準として、殺菌後一時間以内に摂氏十度以下に冷却して保存すること、但し、乳処理場所在地又は販売地の都道府県知事の承認を受けたときは、この限りでないとされている一方、三、乳等の製造又は保存の方法に関するその他の基準を掲げ、(1) 以下(7) に至るまでの項目を規定し特に(7) として乳等を運搬する車輛又は運搬具には、必要に応じて覆をつけ、又は冷却設備をする等の措置により、乳等が汚染され、又は基準温度をこえないようにすること、と規定されていることからみて、右法竝びに省令にいう保存とは、製造基準に従つた加熱殺菌処理後の製品に関する貯蔵、運搬、陳列、授受(法第三条参照)を包含した趣旨に使用されているのであつて、すなわち消費者又はこれに準ずる者に渡るまでの間、加熱殺菌処理後の製品が摂氏十度以下の冷却状態において保存維持されねばならないことを規定しているものといわねばならない。このことは、右法令にある保存の文字解釈からも当然であるのみならず、本件記録にある厚生省当局の前掲省令に関しなされた行政解釈によつても、同様の結論がなされているのであつて、昭和二十五年十月十六日厚生省令第五十八号(昭和二十六年厚生省令第五十二号の本件省令以前のもの)乳、乳製品及び類似製品の成分規格等に関する省令の施行についてと題する昭和二十六年一月二十三日附各都道府県知事宛厚生事務次官通知(記録第二九二丁)、本件昭和二十六年厚生省令第五十二号施行についてなされた昭和二十七年一月十九日附前同様事務次官通知(記録第二九四丁裏)、同年一月十八日附厚生省公衆衛生局長農林省畜産局長発各都道府県知事宛昭和二十六年厚生省令第五十二号第三条別表中市乳の保存の方法の基準についてと題する書面(記録第二九五丁)昭和二十九年二月八日附厚生省事務次官発各都道府県知事宛農山村地帯の牛乳の殺菌方法についてと題する書面(記録第二九六丁)、及び昭和三十二年十月十四日附厚生省公衆衛生局長発佐賀県知事宛市乳の保存基準に関する疑義についてと題する書面(記録第三八三丁)の各記載内容によつても明らかである。又本件省令以前の昭和二十五年厚生省令第五十八号においては、生乳に関し摂氏十八度以下に冷却保存すべきことが定められていたのであるが、現下の実状に照らして若干の無理があるとしてこれを廃止する一方、市乳に関して摂氏十度以下の冷却保存規定も都道府県知事の認定によつてその実施に困難であるとされる場合には例外措置を執り得ることに本件昭和二十六年厚生省令第五十二号によつて改められ、更に昭和三十三年六月厚生省令第十七号によつて、前記保存基準に加熱殺菌後一時間以内にとあつたのが、疑義を解明する趣旨で、たゞちにと改正された立法経過に徴しても明らかで、このことは加熱殺菌後速やかに摂氏十度以下に冷却しないと、乳糖を分解酸敗現象を起す乳酸菌、又は牛乳中のたん白質脂肪を分解腐敗を起す枯草菌等の増繁殖に役立ち、又脂肪、ビタミンの一部等の栄養分が変質することなどによつて、市乳によつて養育されている乳児などの栄養障害を来す等の衛生危害を除却するため、冷却保存規定の設けられた立法趣旨にも合致する所以である。

そして原審証人坂井次男(第三回公判)、同武藤忠次(第三回及び第十一回公判)の各供述記載によれば、佐賀県下における乳業者は、県当局の前記厚生省令に従つた指導勧告によつて、昭和二十七年末頃までには殆んど大部分が冷却牛乳の販売を実施しているのであつて、山間僻地の極めて少数の業者が例外的に県知事の承認を受け冷却しない牛乳を販売している実状にあるのに拘らず、被告人は独自の見解のもとに県当局の指示に従わないものであること、又原審鑑定人赤司景作成の鑑定書竝びに原審における同証人の供述によれば、牛乳は摂氏四十度乃至三十七度において最も腐敗現象を惹起し易いものであるから、加熱殺菌後速やかに冷却し、保存基準に定められた冷却状態において保持することが公衆衛生上まことに適切であることが示されているのであつて、右厚生省令に定められた保存基準に関し、特にこれを不合理として排斥すべき理由もなければ又一般業者に比較して被告人に対し特に不可能事を強制しているものでないことも、極めて明白である。

以上に説示したとおり、市乳に関しては、知事の承認を受けた場合のほかは、たとえ加熱殺菌後数時間内にその全部が消費者の手許に配達し了ることが可能の場合でも製造基準に従つた加熱殺菌直後一時間以内(昭和三十三年厚生省令第十七号改正による現行省令ではたゞちに)に摂氏十度以下に冷却措置を完了し、該温度以上に上昇しないようにして消費者もしくはこれに準ずる者に引渡されるまでの間、保存せらるべきものであると解するのが相当であつて、この点に関する原判示はまことに正当であるといわねばならず、原判決に所論のような法令解釈適用上の誤りがあるとする論旨は、到底採用の限りでない。

そこで、刑事訴訟法第三百九十六条に従い、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池田惟一 裁判官 厚地政信 裁判官 中島武雄)

弁護人松下宏の控訴趣意

第一、(原判決は食品衛生法第三十一条の二第一項、昭和二十六年厚生省令第五二号乳及び乳製品の成分規格等に関する省令第三条の別表の規定の解釈に誤があると思料する)原判決は「市乳は………厚生大臣の定める基準に従い、殺菌後一時間以内に摂氏十度以下に冷却して保存しなければならず、その基準に合わない方法によるものを販売してはならないのにかゝわらず………一日平均約三斗の市乳を右基準に合つた冷却をしないでこれを保存、販売し」たと認定しておるか、被告人も、市乳を「保存」するときは、右基準によつて冷却して保存しておる。保存することなく、製造した市乳を、そのまゝ需要家に配達する場合は、之を冷却せねばならない規定ではない。之はその必要がないばかりでなく、左様な無要な手続をすることは却つて、市乳の鮮度をおとし、需要家に不良なものを提供することとなり法の精神に反すると考えておるものである。右別表によれば、市乳に付、1、成分規格、2、製造の方法の基準、3、保存の方法の基準を定めてあり之に拠れば牛乳処理業者は、1、の規格に適合せしめて、2、の基準で製造して販売又は消費等すれば足るものであつて、之れを保存する場合即ち或る期間同一個所に貯蔵するときは、摂氏十度以下に冷却して保存せねばならないこととなつておるのであるか、原判決は、市乳は知事の例外許可がない以上、必ず製造したら一時間以内に(現行法は直ちに)之を摂氏十度以下に冷却して販売しなければならない、と解釈したのであるが、之れには左の違法があると思料せられる。

(一)(文理解釈に違反しておる)市乳の製造後直ちに配達した場合、吾々の常識では保存ではない、保存とは一定期間原状を維持する場合であつて、需要家に引渡す期間は之に入らないものと考える。原判決は「右省令の趣旨は市乳の製造にあたつては必ず前記の方法で加熱殺菌すること、その殺菌後は一時間以内に摂氏十度以下に保つことの諸点を確保することによつて腐敗菌等の増繁殖や栄養成分の変質を防止し、消費者に安全度の高い市乳を供給せしめ、もつて衛生危害を除却しようとするものであると考えられる」と判断しこの点から「保存の方法の基準」に定められている内容は、(イ)製造基準による加熱殺菌後一時間以内に摂氏十度以下に冷却すること、及び(ロ)この温度以下で保存することの二点であり且つ右「保存」とは「加熱殺菌直後から消費者又はこれに準ずる者に引渡されるまで」即ち「市乳処理業者の事実上の管理の下におかれている間の行為をいうもの」と解すべきものである、けだし「新鮮な牛乳をできるだけ早く消費者の手に渡すことは勿論望ましいことではあるけれども一方配達まで及び配達後消費者が飲用するまでの間に(配達を受けると同時に飲用しない消費者はむしろ多いであらう)腐敗菌の増殖や栄養成分の変質を防止するために乳処理業者をして、加熱殺菌後すみやかに冷却することによつて、腐敗の点で最も危険な温度とされている摂氏四十度ないし三十七度附近を極めて短時間のうちに経過させて摂氏十度以下の状態に置かせ、この温度以下に保たれているため、配達後もそのまゝでは摂氏三十七度の状態になることのない牛乳を消費者に配達させることが適切且つ必要の措置と考えるからである」として「右省令の保存の方法の基準」は、処理すべき生乳の鮮度の高低の如何又は殺菌後消費者に配達されるまでの時間の多少にかかわらず厳格に遵守されねばならないものといわねばならない」と説明しておるか、之は所謂「保存」の意味の範囲の拡大であつて、保存即ち貯蔵の趣旨の逸脱である、判決の云うが如き趣旨ならば市乳の製造の方法の基準に冷却までを加えるの簡明なるにしかないこととなる、運搬は保存でないから補充規定がある、

(二)(食品衛生の真の目的から右解釈は逸脱しておる)市乳の製造過程とその販売方法を被告人のような小企業者とグリコ、森永のような大企業とを同一に取扱うことは厚生省の規程が実際に即せないものである。吾々も、乳類が腐敗し易い食品であり、より鮮度の高いことを要するものであり、腐敗防止は摂氏十度以下に冷却保存することが肝要なことは充分了承しており、この点は原審検察官の論告も原判決の摘示も一応もつともであるが、被告人が敢えて「熱い牛乳」と宣伝せられ官憲に抗しておる所以は、良心的に努力しておるものであつて奇をてらつておるものでもない、市乳の最も鮮度の高い純良品を而も外界からの細菌の附着をもつとも防止しておる状態で顧客に供給することが小企業者の自分等の真の使命であると信じておるからである、被告人は毎朝四時前におき乳牛を洗い搾乳し之を加熱殺菌し之をC七五度で消毒した瓶につめ打せして配達に出すのが六時すぎとなるのである、本件判決の趣旨によれば、加熱殺菌後、乳を水温に冷し、瓶を同温に冷し、之れに牛乳をつめ更に之を摂氏十度以下に冷却するため冷蔵庫に入れることとなり、その間の時間は尠くとも三時間を要するので、その日にその朝搾取した牛乳は遂に需要家の手元に届かないこととなるのである、需要家としては朝早く牛乳一、二合を配達を受け一時間以内に殆ど之を飲用するものである、午後に必要であるとの注文があれば、保存の為め冷却した牛乳を所要の時間に届ることとなるのである。この取扱いと、その時間的経過を考えて見れば原判決が詳細に論述せられた、冷却した牛乳の腐敗しがたい理論、その他は杞憂であり、却つて大企業に奉仕して鮮度の高い牛乳の供給を阻害するものであると思料する。取締官憲も事の実情に即し、この乳の成分規格等の基準もあくまで基準であつて之を活用すべきものと考える次第である、之は行政事務の墨守によつて生きた生産を阻害することとなるものと考えられる。冷えた牛乳が平温(外気温)に戻つた場合、冬眠しておつた細菌が猛烈に活動繁殖することは、冷蔵庫の使用でも明であり医者、保健所でも同様の意見があり、被告人も得意先よりの苦情によつて、熱い牛乳に戻つた経験があるのであり原審証人の証言もこの点を物語つておるものである。市乳を冷却して販売することが最も妥当なものであることは、被告人も認むるところであるが、之が絶対的のものではないことは、(一)例外許可の余地もあること、(二)特別牛乳として生乳にて売り出すことも出来ることを想い合せれば、被告人の良心的乳処理場の管理、乳牛の手当等その圏境は理想に近く努力しており、その牛乳も需要家の好評を博しておるのであるから取締にあたる者は、取締の基準も之を活用すべきものである、原判決の様に厳格に解するときは、配達の場合も、冷却設備を要することとなり益々小企業家は乳界から駆逐せらるるに至ると思われるのである。

第二、(牛乳の良否は、冷却と必ずしも一致しない)原判決は良い牛乳即ち安定度のある牛乳を需要家の手元に送る担保のため、この冷却を厳守せしめる必要があるとなしておるが、市乳が需要家の手に入り一、二時間の内に腐敗することは稀であり、需要家も之を冷す位の取扱いはするものであり、それより肝要なのは、その製造完了までにどうして空気の汚染、大腸菌その他の附着から乳を守るかにあり、この点乳舎の清潔、乳の管理、その製造になるべく手数をかけないよう、細菌の附着せないよう取締ることがより根本のものである、需要家の手元に細菌の附着すくない高熱のままの牛乳が配達せらるることは却つて乳の鮮度の高度、栄養成分の保持に必要、適切であると思料せられる。

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